高校時代
高校時代の私は、勉強が嫌で嫌で授業にもついて行けず、2年時には担任の先生に「このままでは進級できない」とさえ言われる生徒でした。つまり、この頃は典型的な落ちこぼれでした。もちろん、税理士になろうという気持ちも能力もありませんでした。
振り返れば、小学生の時より勉強で褒められた記憶がなく、叱られた記憶しかなかったため、そのことが、私のどこかで「勉強=辛く苦しい」というイメージを作り上げていたのかもしれません。私は、この辛く苦しい勉強からいつも逃げたいと思っていました。その後、高校時代の同級生は、それぞれやりたいことを見つけて地元の会社に就職していきました。
しかし、私は特にやりたいことも無いので大学に進学することにしました。要は、就職という現実から逃げたかったのです。しかし、大学進学ということになると、当然学力が問題になってきます。高校時代の私の成績は、とても大学に行けるようなレベルではありませんでした。
でも、就職という現実から逃れるため、高校3年になってからは、学校に通う以外は自室に引きこもって必死になって勉強しました。その甲斐あって、模擬試験ではある程度の成績をとれるようになり、目標とする大学もできました。しかし、実際の試験ではことごとく不合格となり、最終的に滑り止めで受験した大学に何とか合格することができました。
大学時代
大学に入学してからは、受験勉強時の引きこもりの反動で、勉強した記憶が無いほどに遊びまくりました。バイクが大好きで、高価なバイクを買うために建築現場や道路工事、引越業者、等時給の高いアルバイトを掛け持ちでやりました。そんな大学時代もあっという間に3年間が過ぎ、いよいよ、これ以上逃げることのできない(と思っていた)就職という現実と向き合うこととなりました。
おりしも、大学卒業時の1998年は就職氷河期の真っただ中でした。やっとの思いで、何とか2社(税理士業務とは全く関係ない会社)に内定をもらい、そのどちらかに入社するつもりでした。しかし、就職が決まったこの期に及んでも、私には社会に出て自分で稼いでいこうという気概や自信がありませんでした。
そこで、再びこの就職という現実から逃げたいと思うようになりました。このような状況の中で、大学4年も終了しようかという11月頃、大学時代の恩師である教授から大学院に進むことを勧められました。私が特に優秀な学生だったわけではないのですが、尊敬していた教授に声をかけられその気になった私は、「大学院に進んで本格的に法律を勉強してみるのも面白いかも」と思うようになりました。
もちろん、前述のように就職から逃げたいという思いもありました。しかし、大学院に進むことを勧められてから大学院進学試験までの期間は3ヶ月。この3ヶ月間は、寝る時間やご飯を食べる時間も削って、私が今まで生きてきた人生の中で最も勉強した期間でした。今後これほど勉強することは絶対無いです。
大学院時代
その甲斐あって、何とか進学試験に合格することができました。それから、内定をもらっていた会社に入社辞退の連絡を入れたのですが、この入社辞退の連絡を入れたときに何か吹っ切れたような気がします。というのも、もともと勉強が苦手で、自分に自信が無く、ある意味無気力で、自ら独自の道を歩むような人間ではなかった私が、大学の友人の多くが一般企業に就職していく中、大学院に進むことになったのですから、「これで自分は(良いにしろ悪いにしろ)友人たちとは別の道を歩むことになるんだな」という感じがしたのです。実際、今思い返すと、この大学院進学は私の人生の中で大きな転機となりました。
大学院には、会社の役員や従業員の方、自分で起業を目指す方、等々様々な人がいました。しかし、一番多かったのは税理士を目指している人達でした。私のそれまでの税理士に対するイメージは、暗くて、お金の勘定ばかりして(仕事なので当たりまえか)、冗談が通じなくて、裏業界に通じた悪徳税理士が居たりして(笑)、という感じでした。多分一般的にもこのようなイメージが強いのではないかと思います。実際、私が税理士になった後で、顧問先の経営者の方々に税理士のイメージを聞くと、このようなイメージが大半でした。要するに、中学生や高校生が憧れるような職業ではないということです。
私は、大学院で税理士を目指している人達と交流しながら、人生で初めて真面目に、今後どのような方向に進もうか考えました。私は幼い頃から、幅広い知識を持ったゼネラリストよりも、建築家や大工さん、飛行機の操縦士、お医者さん、等、何か特殊な能力を持つスペシャリストに憧れる傾向がありましたので、会社役員よりも会計や税務のスペシャリストである税理士という職業に興味を持つようになりました。
私の両親は離婚をしていますが、母親は薬剤師の資格を持っているため、65歳を過ぎた現在でも薬局で元気に働くことができます。そういう意味で、母はスペシャリストなのです。通常、歳を重ねたり、仕事から離れると、社交性が無くなったり認知症が進んだりと様々な症状が出てきます。しかし、いくつになっても働けるということは、社会とのかかわりを持てるということなので、母は今でも若々しく社交的です。もちろん、自分自身で働いてくれているため、健康で、ある程度の収入があり、私自身としても助けられています。
このような母親を見て育ちましたので、手に職を持つこと、資格を持つこと、何歳になっても人の役に立てること、の重要性が知らず知らずのうちに身についていたのかもしれません。大学時代は税理士になることなんて全く考えていなかった私が、税理士という資格を目指したのも、母親のように手に職を持つこと、資格を持つこと、何歳になっても人の役に立てること、という考え方が私の根底にあったからかもしれません。私は、大学院で、税理士を目指す人達から税理士の資格や仕事についてのことを教えてもらい、また、学費を賄うために税理士事務所でアルバイトを始めました。
実際に税理士事務所で働き、そこで働く税理士や従業員の方々を見て、前述のようなマイナスイメージは吹き飛び、中小企業の経営改善や資金繰り改善、さらには起業家の支援や相続相談に奔走する先輩方の姿を目の当たりにし、私も早くこのような先輩税理士のように働けるようになりたいと思うようになりました。それから本格的に税理士の勉強を始め、大学院で4年間勉強し税理士の専門学校にも通いました。大学院卒業後は、税理士事務所に就職し3年間実務経験を積み、その間に税理士資格を取得しました。
26歳で税理士事務所に初就職
この税理士事務所での仕事は、起業コンサルティングや銀行融資コンサルティング、相続コンサルティング、を中心とした税理士業務で本当にやりがいのある仕事でした。その一方で、自分の担当していた顧問先の倒産や経営者の自殺等、企業経営の暗い部分も見ることとなりました。私は、この時の経験から、税理士にとって経理や税務の処理はもちろん大切であるが、さらに一歩進んで、会社の経営課題を経営者と一緒になって考え、解決していけるような税理士になりたいと考えるようになりました。また、この税理士事務所勤務時代には、事務処理のIT化や顧問先開拓の方法について、私の考え方と事務所の方針が大きくズレていたため、もっとこうすればいいのにと思うことが多々ありました。
しかしこの時、私なりの考え方があるとはいえ、20歳台の若造だったので、自分なりの考えを裏付けるような説得力ある説明をすることができず、歯がゆい思いをしました。しかし、考えてみれば当たり前で、本人がいくら優れた考え方だと主張しても、それを体系立てて説明できる能力と裏付け資料が無ければ、その意見が採用されることはありません。結果としては、IT化の流れに取り残された勤め先税理士事務所の売上高は、3年間で20%以上減少しました。この苦い経験は、今現在の私の事務所経営にも生かされています。
29歳で税理士事務所を立ち上げ独立起業
その後、2005年に29歳で自分の税理士事務所を立ち上げました。当然ですが、この独立起業の際にも、今の税理士事務所に残るか否かという葛藤がありました。しかしこの時には、「自分なら独立起業してもやっていける」という根拠のない自信のようなものがありました。実際、独立起業して10年以上経ちますが、なんとか事務所を成長させてくることができました。
この10年間を振り返って
今、自分が税理士として資格を取り、独立起業するまでの経緯を振り返ってみて思うのは、自分がその時に置かれている状況の中で、周りの人たちの助けや影響を受けつつも、自分がその時考えられる最善の方法を選択してきたんだということです。
その結果、会社内の無能(あるいは嫌な)な上司に気を使う必要もなく、意味が有るのか無いのかわからないような会社規則に振り回されたり、毎朝の朝礼で今月の目標を大声で言わされたり、会社帰りに居酒屋で会社の文句を言ったりすることもなく、自分の出来る限りのことを一生懸命やっていれば(これはこれで大変ですが)、自然と収入が増えていくというような事務所の状況を作ることができました。
学生時代には、勉強が嫌いで自分に自信が無く、就職からも逃げ出すような人間だった私が、29歳で独立起業するときには、「自分なら独立起業してもやっていける」という根拠のない自信を持つことができたのは、繰り返しになりますが、自分がその時考えられる最善の方法を選択してきた結果だと思います。ですので、既に起業されている人も、現在起業準備段階の人も、自由な思考で、今自分が考えられる最善の方法を考えてみてください。きっとその選択が良い結果を生むはずです。